慣れてしまった冤罪メーカーくんの思考ロジックを、これまで世界で行われてきたすべての裁判に適用することを考えてみると、なんと、この世に証拠というものは存在しない。すべての証拠は、必ず他の可能性を言うことができるからだ。(映像ですら、0、1で真偽が決まらず、不自然な点があるかどうかで真偽を推測してる。)
つまり、裁判の判決というのは、証拠によって論理的に判決を決めてるのではなく、裁判官の心証が証拠が証拠と信じ切るかどうかで決まってるのである。
慣れてしまった冤罪メーカーくんの思考ロジックを、これまで世界で行われてきたすべての裁判に適用することを考えてみると、なんと、この世に証拠というものは存在しない。すべての証拠は、必ず他の可能性を言うことができるからだ。(映像ですら、0、1で真偽が決まらず、不自然な点があるかどうかで真偽を推測してる。)
つまり、裁判の判決というのは、証拠によって論理的に判決を決めてるのではなく、裁判官の心証が証拠が証拠と信じ切るかどうかで決まってるのである。
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